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ミステリーの魅力あふれる作品「マサダの箱」

人はなぜミステリーを読むのでしょうか。
謎解きの鮮やかさに感動したいから?
日常に隣接する悪にぞっとしたいから?
ドキドキ・ワクワクをくれるエンタメとして、ミステリーは心惹かれるジャンルです。

しかし一方で、ミステリーは人間とは何かを考える契機にもなるのではないでしょうか。
それを以下の書籍を読む中で思いました。

「マサダの箱」(越ナオム:著 知道出版)

https://chido.co.jp/general/post-103.shtml

東京と出雲で二人の男の遺体が発見されるところから物語は始まります。
事件の謎を追うのは、警部補の小坂柚月と歴史学者の南雲光です。

その二人の性質について少し考えてみましょう。
彼らは警部補・歴史学者という公的な身分を持っています。
そして柚「月」・「光」の名前を負い、明るい世界の人間として闇に切り込んでいきます。

そして彼らによって明らかにされていくのは、その事件には2000年を超える歴史、そしてある人々の宿命が絡んでいたことでした。
その歴史と宿命はオープンにされないまま、社会の片隅でひっそりと現代まで受け継がれていたのです。
それを背負っているのは、柚月や光と対照的な、暗部に生きる人々です。

人間は一般的に、人間の決めたことの中で生きています。
法律しかり、倫理しかり。
その中で生活を自然にできているのが、柚月や光たちでしょう。

しかし人間は何らかのきっかけで矩を踰えることがあります。
一時の感情の高ぶりであったり、積年の恨みであったりが、「人とはこうあるべき」を外れた行動をさせることも多々あるでしょう。
そのラインを決めるのが人間であるなら、ラインを踏み越えていくのもまた人間です。
ですから「踏み越え」を知った時、我々は普段生活している中で当たり前のように刷り込まれた人間観を再考しなければならなくなります。
「人はこうあるべき」の縁取りからはみ出たことにより、むしろその縁取りがどんなものなのかがよくわかることもあるはずです。

作品「マサダの箱」の中で、人がどのように殺人という行為に至っているのかは、お読みになって確かめてください。
この作品はフィクションですが、フィクションはifの中で人間とは実際何なのかを追求していくことができます。

様々な観点から興味深い作品「マサダの箱」を、是非皆様も読んでみてください。

また、リアルサウンドさんにインタビュー記事を掲載いただいています!
https://realsound.jp/book/2025/06/post-2062654.html

イトー

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